ADR提案に成功そして自己の成長
別居してすぐのころ、離婚調停がうまくいかず(夫が起こした調停なのにこちらの条件全部を拒否してきて、調停員になだめられて終了…w)
月一回平日に予定を調整する大変さに辟易した私は
情報を集める中で知ったADRという方法がいいのではと思っていた。
その後も月1の子供との面会は、先の面会調停通り行われた。
(権力に弱い夫にちゃんと根回ししといてよかった)
別居をくらった母親たちの集まりでもADRの話を聞いた。
どうやら色んな方針の組織があり、できれば共同養育に肯定的なところがいい。
当時からみていたりむすびさんでもそうした活動はあるらしいと知る。
でもそれを夫に示しても、私の回し者と思われたのか警戒されて無視された。
(都合が悪いと無視…。どっちがやねん。でもここは私の戦略も不足していた)
そこから2年の間に数回、ADRのことは伝えた。
家が売却が決まって代金の清算をしたとき。
インドに行って魂に目覚め、夫婦関係を再構築しようとしたとき。
今のアパートに転居して、子供に離婚するかもと話した面会の送迎の時。
少しずつ話して、受け入れてくれるか?と思ったけど
やっぱり「うん…」と濁った返事で、無視されてきた。
なんでだ…なんでお前が先に出て行ったのに離婚に消極的なのだ!?
面倒くさいのか!?と、考えるたびいら立つのが嫌で
最近は私も考えなかった。
(お前が費用を出すなら受けてやってもいい、とも言われたこともあったな…どんだけ上からだよw)
でも今週ふと気づいたんです。
それまで、人として酷い扱いを受けたにも関わらず、
一度好きになり愛し合った相手だからまたやり直せるんじゃないか、と
復縁してもいい、私はどっちでもいい、と思っていた。
子どものためなら私はもう一度愛せると思う、と考えていた。
それが、この人との未来を思い描いても全然わくわくしないなぁ、と気づけたんです。
無理して愛そうとしなくていいって。
夫婦になったんだから愛して仕えなきゃ、ってヨガの教えを守ろうとしていた。
でもそれをイメージしても、全然楽しそうじゃない自分が浮かぶ。
ただ、情で安心を得るだけ。(また破り捨てられるかもしれないのに)
子どもが両親揃ったら喜ぶかな、っていうだけ。(どうせ喧嘩や会話のない夫婦になるだけなのに。そもそも、夫は復縁を考えられるほどの頭がないほど感情人間だ)
そう思ったら、またADRを提案しようと思えた。
何度も失敗して、何がいけなかったのか?を考えた。
そうしたら、自分の意見を言ってたことに気づいた。
「私はこう思うんだけどどう?」って。
優しいけど弱くてプライドだけ立派な夫は、怖気づいて何も言えなかったんだ。
だから私は聞いた。
「あなたはどう考えてるの?この夫婦関係」と。
そうして、ようやくまた離婚という二文字を引き出せたんだ。
(「離婚したいと考えているけれどあなたの思いも尊重します」と、どっちつかずな言い方してきたけどさ。おまーからこんな状況にしておいて、なんだそりゃどんだけ上からじゃ!w)
だからすかさず、ADRで離婚が初めての私たちをサポートしてもらいましょうと送ってみた。
またすぐ面倒になっちゃう夫が趣味の車いじりに逃げる前に、
淡々と着々と話進めていかなきゃと思うわけだ。
あ、すぐ話進められるよう、りむすびさんに連絡しておこーっと。
とりあえず一歩。
決めたよ、進んだよ、と報告したら、ずっと支えてくれた母と親友が
二人ともすごく喜んでくれて、安心したと言ってくれた。
本当に大切に思ってくれる人からは、ずっと離婚がいいと言われていたのに
私の気持ちの整理がつかず、自立しておらず、愛された記憶の残り香をひきずって
ずるずるとここまで来ていたのを、ずっと見守っててくれた。
私はこんなに愛されているんだな。本当に大切に思ってくれる人からは。
そうでない人は離れていくし、それでいい。
その人にはその人の、その魂の学びと成長があって、
今世での課題クリアできなければ、来世に持ち越すんだ。
結婚してよかった。
子どもを産んでよかった。
地味だけど幸せな家族生活を送れてよかった。
喧嘩して苦しんで、つらかったけどよかった。
別居して(されて)よかった。
ヨガにであって魂を知ってよかった。
2年半なんとか生き延びてきてよかった(もちろん何度も死のうとした)。
大切な人に安心してもらえてよかった。
自分を愛せるようになってよかった。
つらかったけど、全てが学びであり成長だったことに気が付けて、よかった。
あぁ。これからは、私は自分を肯定して、自立して、愛されていることを感じて、
強く楽しく生きていくことができる。
きっとこれ以上に苦しいことはそうそう起こらない。
もうだめだつらい死にたいと思う過去の私。生きててよかったでしょう?