別居母の成長記録~子ども連れ去りから離婚までの実況中~

こどもたちとはぐれて暮らす別居親になってもうすぐ3年。ヨガに出会ってできごとの意味を知り、生きる氣力を取り戻しました。大切な人との別離を通して学んだことをまとめています。

どんなできごとも受け入れる

お題「#この1年の変化」

 

どうしてこんな事に。どうして私が。どうしてあの人は。

一年前にこう思っていたけど今は、「すべて慈悲」といった師の言葉をすんなりと受け止めて、感謝している。

それは時間が経って風化したというよりも

別の意味が見いだせるようになったしその努力をしたから。

今は引き離しの出来事、一人でいることにも感謝すら感じている。

なぜか?

 

昨日、通っているヨガセンターでの周年記念祭だった。

一年前も同じように参加して、歌って踊り、祈りを捧げる。それは変わらないけれど

心の満たされ方は大きく違うことを感じていた。

こどもや、彼氏・家族と参加する人に嫉妬して羨んでいた

夫に怒りを感じていたことが嘘のように満たされて幸せで、心揺らがなかった。

 

昨夜の地震で10年前を思い出した。

割と震源に近い所に住んでいたので避難生活など大変だったけれど、

あの頃よりも別居、引き離しの頃のほうがもっともっと孤独で苦しく悲しかった。

私だけがこんなに孤独!私ばかり悲しくつらい思いをする!

夫ばかりずるい、嫌なやつ、罰を受ければいい!と思って恨んだ。

でも昨日は、そんな夫や両親に地震の被害がなかったか安否を気遣う思いが湧いた。

 

すべては恩恵、すべては慈悲。

こんなこと、今まで生きてきた中で心から思ったことなんてなかった。

どこかで、自分は損をしてるとか、私はみんなよりも〇〇だとか、あの時こうしてればとか、そんなふうに生きてるんじゃないか。

この1年かけてそれをリアライズする学び・経験を積んできた。

簡単じゃないし完璧じゃない。時間もかかるし労力もいる。お金もある程度かけた。

それも、でも全て「かけることができた」、チャンスが与えられた。

いま死にたい辛い恨めしい、そんなどん底の人はきっと「恵まれている人だからそんなことができる」と思っている。

本当にそうか?自分にも何か与えられてるんじゃないかな?

それを周りのたくさんの先生や先輩が、温かく、厳しく、辛抱強く、示した。

30数年生きてきた中で、それに氣づいて心から感謝することができてなかった人間としての未熟さを、この経験を通して知り、乗り越えようとしている。

めそめそ泣いたり、うじうじ後悔したり、相手を恨んだりせず

心軽やかに本当に大切なことを大切に、生きることができる。

 

受け入れられると氣づける。氣づくと感謝できる。感謝できると幸せになる。

それを知り、腑に落ちた一年だった。私はいま幸せだ。