別居母の成長記録~子ども連れ去りから離婚までの実況中~

こどもたちとはぐれて暮らす別居親になってもうすぐ3年。ヨガに出会ってできごとの意味を知り、生きる氣力を取り戻しました。大切な人との別離を通して学んだことをまとめています。

愛すること、受け入れること

離婚調停が不調で終了してから約1年半経つけれど、結局離婚は進んでいない。

あんなに強行で進めようとした夫も何も言ってこない。

このままじゃいかんのでは?と思い、調停が終わってから何度かADRの利用を持ちかけたけど、進まなかった。

 

この間、心境の変化は大きい。

師に出会い、先生に出会い、仲間に出会い、感謝し愛して受け入れることを教わった。

全ての出来事は慈悲で、全ての魂は同じく愛おしいことを学んだ。

でも教わっただけで、自分の腑に落ちてはいなかった。

夫を恨んで不幸を願い、自分の状況を憂いて嘆き、子どもの前でもめそめそ泣いた。

でもあるセッションを受けて、価値観の変え方を知り、受け取り方が変わった。

 

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夫婦関係をどうしたらいいのか悩んでいたとき

師に「あなたはどうしたいの」と問われて、私の気持ちははっきりしなかった。

それではいけないと思って、勢いで関係解消してしまおうと動いたりした。

でもその時は夫が乗ってこない、忙しいのか面倒なのか、とにかく進まない。

なんで!?あっちが進めてくべきでしょう?私は被害者!という気持ちもあった。

でも受け入れることがリアライズされていってから、自分でも考えられないような変化があった。

今たとえば夫が家庭環境の窮地に立たされたとして、都合よく私を頼ってくることがあれば、私は夫を支え助けるだろう。

それが私の役割だと認識している。

感情は波立つかもしれないけれど、この半端な状況が保たれているのはそういう意味もあるのかもしれない。

たとえ子供と引き離した夫でも、他の女性と浮気した事実があっても、私を嫌悪し罵声を浴びせた義両親がいても、私を傷つけられたことを悲しむ友人や家族が大反対するとしても。

もしくは、私が心を安定させて自分を愛し、本当に人を愛せるまで、優しく半端な猶予が与えられていたのかも。

いずれにしても、引き離しの出来事さえ、愚かな自分に氣づくきっかけだった。

エゴでも損得でもない真の愛情とは何かを知った。たとえこの先、改めて離婚を提示されても、相手の幸せを真に願うことができる。

こんなことすら、怒りなど感情にまみれていたらわからなかった。

出来事はビンタのように痛かったし心は串刺しにされたけど、そこまでしないとわからないほど私のエゴは深く深く、心が曇り切っていた。

そう思い、今は感謝している。