引き離しの直後に
夫から子供との引き離しをされた時、絶望的な衝撃と「嘘でしょ?」という気持ちが共存しながらも、私はとにかく自分の命をつなぐこと、それと子供と会うことだけを優先して生きていた。
こんな自分は死んでしまったほうがいいと思っていたけれど、最終的には自殺はだめだと引き留める母親と、なにか心の中の光のようなものが私を繋ぎとめた。
(そのあと学んだヨガで、それは心に宿る者だと知って驚いた。ちゃんとわかってたんじゃん私!って誇らしかった)
徹底的に戦って取り返そうと思うこともあった。
土下座して、訂正してもらおうなんて願ったこともあった。
でも私は結局、子どもと会うために起こした面会調停のあとは、自分からは戦うことをやめてしまった。
それはネットで見た記事や、弁護士相談でのそっけない態度から感じた状況が
すでに散々打ちのめされていた私から戦う意欲を奪ったからだ。
面会調停では月一回の面会が決まった。「時間や回数など条件は今後柔軟に話し合うように」という割と曖昧な内容だったが、応じることにした。
夫は子どもから母を奪った罪悪感もあったのか、面会にはきちんと応じていた。
はじめ、二歳の娘は数か月離れていた私に再開したとき、だれ?というようにぽかんと首を傾げていた。
そんな姿を見てまた胸をえぐられ、泣いて絶望し死を考えた。命からがら生きていた。
(そのころヨガを始めて、師となる人に引き合わせてもらい、「あなたラッキーですよ!」と言われたんだ。全然意味わからなかったけど、全ての始まりだった)
その後、夫から離婚調停を起こされて応じた場では、
数回の調停で一歩も譲ろうとしない夫の条件に溜息をついた調停員が、夫に一旦引き下げを提案し説得したため、調停は途中で終了になった。
もしも私が面会調停や離婚調停の場で、相手と徹底抗戦の姿勢を見せていたら
きっとその調停は話し合いではなく戦いの場になっただろう。
きっと面会条件はもっと渋いものになり、
離婚調停は裁判へと移行しただろう。
私は、当時、戦わない自分を不甲斐なく、情けなく思っていた。
子どものために戦えなかった母、と自分を責めていた。
でもそこにあったのは、何が何でも奪い返してやる!と思って行動できない、そう思えない自分の自己肯定感の低さだった。
この二年間、その自己肯定感の低さと向き合ってきた。
自己を大切に思い、生きる意味を知り、子供たちとも割と自由に会えるし、いつもたくさん愛情を感じられるほど幸せだと思えている。
むしろ家族で過ごしていた時よりも、目を開かれた今は幸せだ。
私は、何が何でも取り返す!と思う人に具体的な行動は示せない。
でももし、どうしてあの人はこんな行動をとったのかとか
自分なんて生きてる価値はないとか
そう思う人にはきっとほんの少しの氣づきを与えることができる。
すべては慈悲。
すべて愛に満ちている。
RadheRadhe♡