別居母の成長記録~子ども連れ去りから離婚までの実況中~

こどもたちとはぐれて暮らす別居親になってもうすぐ3年。ヨガに出会ってできごとの意味を知り、生きる氣力を取り戻しました。大切な人との別離を通して学んだことをまとめています。

「配信の録画ボタンを押した瞬間に幸せになる」

最近こころ惹かれているYou Tuberかめちゃん。

毎朝6時半から生配信をずっと続けていて、

いのち燃やして生きてる人だ!と実感。

 

彼の今日の配信を見ていて、一つ行動しようと思った。

眠っていたブログを、覚書として再始動。

 

4か月寝てる間に、離婚に向けてようやく

2年半眠っていた気持ちが動き出した。

 

ADRを使って、いかに離れた子供たちと関わりを持ちつつ

私の本当の思いに嘘をつかずこれからの人生を作っていくか。

これから話し合っていく離婚の道。母親としての道。

大切にしたい女性としての道、一人の人間としての道。

 

2年半くすぶっていた夫への情、どうしてこの1週間で気づき、手放せたんだろう

彼と復縁する未来をイメージした時、浮かない顔が見えてきて、こころはわくわくしなかった。

もう我慢しない。私を幸せにしない関係を捨てて、私は幸せな日々を生きる。

愛すること、受け入れること

離婚調停が不調で終了してから約1年半経つけれど、結局離婚は進んでいない。

あんなに強行で進めようとした夫も何も言ってこない。

このままじゃいかんのでは?と思い、調停が終わってから何度かADRの利用を持ちかけたけど、進まなかった。

 

この間、心境の変化は大きい。

師に出会い、先生に出会い、仲間に出会い、感謝し愛して受け入れることを教わった。

全ての出来事は慈悲で、全ての魂は同じく愛おしいことを学んだ。

でも教わっただけで、自分の腑に落ちてはいなかった。

夫を恨んで不幸を願い、自分の状況を憂いて嘆き、子どもの前でもめそめそ泣いた。

でもあるセッションを受けて、価値観の変え方を知り、受け取り方が変わった。

 

haguremamayogi.hatenablog.com

 

夫婦関係をどうしたらいいのか悩んでいたとき

師に「あなたはどうしたいの」と問われて、私の気持ちははっきりしなかった。

それではいけないと思って、勢いで関係解消してしまおうと動いたりした。

でもその時は夫が乗ってこない、忙しいのか面倒なのか、とにかく進まない。

なんで!?あっちが進めてくべきでしょう?私は被害者!という気持ちもあった。

でも受け入れることがリアライズされていってから、自分でも考えられないような変化があった。

今たとえば夫が家庭環境の窮地に立たされたとして、都合よく私を頼ってくることがあれば、私は夫を支え助けるだろう。

それが私の役割だと認識している。

感情は波立つかもしれないけれど、この半端な状況が保たれているのはそういう意味もあるのかもしれない。

たとえ子供と引き離した夫でも、他の女性と浮気した事実があっても、私を嫌悪し罵声を浴びせた義両親がいても、私を傷つけられたことを悲しむ友人や家族が大反対するとしても。

もしくは、私が心を安定させて自分を愛し、本当に人を愛せるまで、優しく半端な猶予が与えられていたのかも。

いずれにしても、引き離しの出来事さえ、愚かな自分に氣づくきっかけだった。

エゴでも損得でもない真の愛情とは何かを知った。たとえこの先、改めて離婚を提示されても、相手の幸せを真に願うことができる。

こんなことすら、怒りなど感情にまみれていたらわからなかった。

出来事はビンタのように痛かったし心は串刺しにされたけど、そこまでしないとわからないほど私のエゴは深く深く、心が曇り切っていた。

そう思い、今は感謝している。

引き離しの直後に

夫から子供との引き離しをされた時、絶望的な衝撃と「嘘でしょ?」という気持ちが共存しながらも、私はとにかく自分の命をつなぐこと、それと子供と会うことだけを優先して生きていた。

こんな自分は死んでしまったほうがいいと思っていたけれど、最終的には自殺はだめだと引き留める母親と、なにか心の中の光のようなものが私を繋ぎとめた。

(そのあと学んだヨガで、それは心に宿る者だと知って驚いた。ちゃんとわかってたんじゃん私!って誇らしかった)

 

徹底的に戦って取り返そうと思うこともあった。

土下座して、訂正してもらおうなんて願ったこともあった。

でも私は結局、子どもと会うために起こした面会調停のあとは、自分からは戦うことをやめてしまった。

それはネットで見た記事や、弁護士相談でのそっけない態度から感じた状況が

すでに散々打ちのめされていた私から戦う意欲を奪ったからだ。

面会調停では月一回の面会が決まった。「時間や回数など条件は今後柔軟に話し合うように」という割と曖昧な内容だったが、応じることにした。

夫は子どもから母を奪った罪悪感もあったのか、面会にはきちんと応じていた。

はじめ、二歳の娘は数か月離れていた私に再開したとき、だれ?というようにぽかんと首を傾げていた。

そんな姿を見てまた胸をえぐられ、泣いて絶望し死を考えた。命からがら生きていた。

(そのころヨガを始めて、師となる人に引き合わせてもらい、「あなたラッキーですよ!」と言われたんだ。全然意味わからなかったけど、全ての始まりだった)

 

その後、夫から離婚調停を起こされて応じた場では、

数回の調停で一歩も譲ろうとしない夫の条件に溜息をついた調停員が、夫に一旦引き下げを提案し説得したため、調停は途中で終了になった。

もしも私が面会調停や離婚調停の場で、相手と徹底抗戦の姿勢を見せていたら

きっとその調停は話し合いではなく戦いの場になっただろう。

きっと面会条件はもっと渋いものになり、

離婚調停は裁判へと移行しただろう。

 

私は、当時、戦わない自分を不甲斐なく、情けなく思っていた。

子どものために戦えなかった母、と自分を責めていた。

でもそこにあったのは、何が何でも奪い返してやる!と思って行動できない、そう思えない自分の自己肯定感の低さだった。

この二年間、その自己肯定感の低さと向き合ってきた。

自己を大切に思い、生きる意味を知り、子供たちとも割と自由に会えるし、いつもたくさん愛情を感じられるほど幸せだと思えている。

むしろ家族で過ごしていた時よりも、目を開かれた今は幸せだ。

私は、何が何でも取り返す!と思う人に具体的な行動は示せない。

でももし、どうしてあの人はこんな行動をとったのかとか

自分なんて生きてる価値はないとか

そう思う人にはきっとほんの少しの氣づきを与えることができる。

すべては慈悲。

すべて愛に満ちている。

 

RadheRadhe♡

とりあえずヨガしよう!

呼吸は自分でできる唯一の『心を整える方法』

よく「怒りを感じたら6数えましょう」とか「深呼吸をしましょう」とか言われるけど

実は簡単だけど簡単じゃない。

実際私は本で読んで実践しても、全然できない…と思っていました。

すーぐ夫の怒りに影響されて、怒りで返して炎上していました。

 

「呼吸する」ことはできるけど、それをいつでもどこでも氣づいて思い出しすのがなかなかコントロールできない。

だから呼吸を大切にしている動作を、いつもするようにする。

日々の生活に組み込むと段々とできるようになる。呼吸ができると、心を整えることができるようになる。

心を整えると、怒りとか黒い感情に囚われていたことに氣づく。

慣れてくると、怒りが湧いた時点で「あ、きたな」と氣づいて、囚われないこと選択できるようになる。

 

この、生活に組み込む、がなかなか難しいですよね。

だって「呼吸しよう」としてするのって楽しくない。

マインドフルネスとか瞑想ってすぐ別のことを考えてしまって、私はいつも冷静になれずに「子供に会えない…」とか「あいつがいなければ!」とかの感情に囚われた。

でもヨガって動きながら呼吸するから、楽しく呼吸法を実践できる。楽しんでるうちにいつのまにか心が穏やかになってる。

他の運動って、運動に夢中になるとハァハァと息が上がってることに氣づかず

その時は気持ちよくても、その時間が終わるとまたいつもの感情に囚われる。

 

『本当のヨガの先生』って、必ず心を整えることを教えてくれます。

もし心の整え方を教えないヨガの先生はボーガス(偽物)、と私の師は言います。

それには少し哲学的な知識が必要なので、知らないと教えられないからです。

時間を取って、いつでも何でも相談にのり、生きる意味に導いてくれて、寄り添い、時に叱咤し、応援してくれる。

そんな本当のヨガの先生に、私は幸運にも導かれて、何度も何度も教えを請い、今も日々続けることで、いつも幸せに立ち返ることができます。

 

ヨガって女性のスポーツでしょ?と敬遠する男性は多いけど

その先生は、年上の男性からもたくさん相談を受けて、すべての生徒を愛そうと努力して、たくさんの奇跡を起こしています。

先生のYouTube動画もあるから家でこっそりやることもできます。

https://youtu.be/w8CpCi8uVLE

 一緒に行こう、一緒にヨガしよう。私も一緒に行きます。

私もそれに倣いたいと、今先生になる勉強をしてるから。

 

すべては人を愛する思いから。

教えたくないけど教えたい。一人占めしたいけど皆に味わって欲しい。

だってどんな人でも幸せになれるから。

 

RadheRadhe♡

どんなできごとも受け入れる

お題「#この1年の変化」

 

どうしてこんな事に。どうして私が。どうしてあの人は。

一年前にこう思っていたけど今は、「すべて慈悲」といった師の言葉をすんなりと受け止めて、感謝している。

それは時間が経って風化したというよりも

別の意味が見いだせるようになったしその努力をしたから。

今は引き離しの出来事、一人でいることにも感謝すら感じている。

なぜか?

 

昨日、通っているヨガセンターでの周年記念祭だった。

一年前も同じように参加して、歌って踊り、祈りを捧げる。それは変わらないけれど

心の満たされ方は大きく違うことを感じていた。

こどもや、彼氏・家族と参加する人に嫉妬して羨んでいた

夫に怒りを感じていたことが嘘のように満たされて幸せで、心揺らがなかった。

 

昨夜の地震で10年前を思い出した。

割と震源に近い所に住んでいたので避難生活など大変だったけれど、

あの頃よりも別居、引き離しの頃のほうがもっともっと孤独で苦しく悲しかった。

私だけがこんなに孤独!私ばかり悲しくつらい思いをする!

夫ばかりずるい、嫌なやつ、罰を受ければいい!と思って恨んだ。

でも昨日は、そんな夫や両親に地震の被害がなかったか安否を気遣う思いが湧いた。

 

すべては恩恵、すべては慈悲。

こんなこと、今まで生きてきた中で心から思ったことなんてなかった。

どこかで、自分は損をしてるとか、私はみんなよりも〇〇だとか、あの時こうしてればとか、そんなふうに生きてるんじゃないか。

この1年かけてそれをリアライズする学び・経験を積んできた。

簡単じゃないし完璧じゃない。時間もかかるし労力もいる。お金もある程度かけた。

それも、でも全て「かけることができた」、チャンスが与えられた。

いま死にたい辛い恨めしい、そんなどん底の人はきっと「恵まれている人だからそんなことができる」と思っている。

本当にそうか?自分にも何か与えられてるんじゃないかな?

それを周りのたくさんの先生や先輩が、温かく、厳しく、辛抱強く、示した。

30数年生きてきた中で、それに氣づいて心から感謝することができてなかった人間としての未熟さを、この経験を通して知り、乗り越えようとしている。

めそめそ泣いたり、うじうじ後悔したり、相手を恨んだりせず

心軽やかに本当に大切なことを大切に、生きることができる。

 

受け入れられると氣づける。氣づくと感謝できる。感謝できると幸せになる。

それを知り、腑に落ちた一年だった。私はいま幸せだ。

怒りを手放して見えるもの

こどもと離れてから私は

毎日まいにち、夫のこと、義両親のこと、夫を助ける人たちのことを

恨んで、呪い殺してしまうのではというほどでした。

自分や状況に対しても嫌悪感がいっぱいで

新築して3年もたたない新居の、吹き抜けた階段を見上げては

そこでぶら下がる自分を想像する毎日。

 

大好きな大切なこどもたちと離れて独りぼっちになり、

それまで家族のためにご飯を作り家を守り仕事をしてきた

行動の理由がなくなってしまった。

まさか自分がそんなことになるとは思ってもなかった。

生きてなくていいじゃん。いる意味ないじゃん。

思うたびに心がぐりぐりと締め付けられるような痛みを感じて

痛くてたまらないのにそのことを考えて、怒りにふるえ、また自分の心を痛めた。

本当に死んでしまうことばかり考えてた。

相手やその家族が不幸になればいいとばかり思っていた。

・・・

今その感情はふわりと手放すことができた。

むしろ相手が幸せになることを願える。

先生に言われた「それは慈悲」という言葉を探って学ぶうち

自分の本当の望みが叶えられていった。

どんどん、こどもたちと会えるようになり、

友人や家族、大嫌いだった自分のことも大切にできるようになった。

なんで慈悲なのかがわかるようになって

こどもたちや夫たちの幸せを願えるようになった。

二年かかったけど…それでも諦めず生きてきた。

 

相手を呪い殺してしまいたい気持ちで生きていた時には

見えなかった世界が見える。

心からの幸せを感じるし、自分を大切にしていこうと思う。

すっかり生きやすくなって軽やかに過ごしている。

しかも望みも叶えられている。

怒りに囚われて相手を恨む気持ちを持っていい。

でもその気持ちから抜け出したくありませんか?

かならず手放すことができます。

生きる意味はあるんです。

 

Radhe Radhe

別居母の現在のこと

いま、私はしあわせです。

 

決して新しいパートナーがいるわけではないし、

贅沢ができるわけではないけれど仕事をして

趣味のヨガや新しい勉強をしながら細々と暮らしています。

 

いま、「幸せ」と自信を持って言えるし、

もしこどもや大切な人と離れてしまって

胸を引き裂かれるような、とても寂しくつらい氣持ちを抱えている人が

少しでも楽になったらいいと、必ず幸せを感じられるはずだと、

やっと当時のことを残すことにしました。

 

今こどもは小5と4歳、どちらも女の子です。

はぐれたときは8歳と2歳でかわいい盛りでした。

今は定期的に面会したり、手紙やラインをしたり

普段は会えないながらもまあまあやり取りできています。

 

先生に言われた言葉「それ(別離)は慈悲」の意味を求め

泣きながら苦しみながらも逃げずに2年かけて

怒りや恨みやエゴを手放し、自分を受け入れ、たくさんの学びを与えられました。

 

どんな人も幸せになれると思います。

諦めずに生きていてくれたらと思います。